東京家庭裁判所 昭和41年(家)1375号 審判 1966年3月14日
申立人 田中京子(仮名)
事件本人 藤田良男(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
一、申立人は「申立人が事件本人を養子とすることを許可する」旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、
(一) 申立外亡田中平作は、第二次世界大戦における東京空襲のため、昭和二〇年三月一〇日戦災で死亡したので、申立人は実父藤田正男、実母藤田美子の計いで同年一〇月二七日右田中家の養女となり、現に田中家唯一の責任者として祖先の祭祀を主宰して今日に及んだ。
(二) 申立人は、現に二四歳で婚姻適齢期にあり、申立外和田邦男と婚約が成立し、近く同人と結婚式を挙げる予定である。
(三) ところが、右和田邦男は、和田家の長男で、将来同家祖先の祭祀を主宰すべき者に予定されているので、申立人は同人から同人と婚姻後は夫の氏である和田を称することを要請されている。したがつて、申立人が同人と婚姻した場合は、現に申立人が主宰する田中家の祖先の祭祀を扱う者が欠如することになるのである。
(四) 右田中家は、申立人の実家藤田一族が絶大な恩恵を受けた家であり、申立人の亡養母田中イシは申立人の実父藤田正男の実姉で申立人の伯母に当つており、申立人が同家の養女となつた理由もその点にあり、したがつて申立人の婚姻のため、絶家とするに忍びないのである。
(五)かような次第で、申立人の実父藤田正男実母藤田美子の二男であり、申立人の実弟にあたる事件本人を申立人の養子として田中家に迎え、事件本人を将来田中家祖先の祭祀を主宰させることに関係者間の合意が成立した。よつて、申立人が事件本人を養子とすることを許可されたい。
というにある。
二、本件記録添付の各戸籍謄本、家庭裁判所調査官浜田育子の調査報告書および参考人藤田正男に対する審問の結果によれば、
(一) 申立人は、昭和一六年一〇月一二日に藤田正男、藤田美子間に生まれた長女であるが、実父藤田正男の姉田中イシ、その夫の田中平作、同夫婦の養子田中一郎がいずれも第二次世界大戦中の昭和二〇年三月一〇日における米軍機の空襲により死亡したため、右田中平作の家督を相続すべき者がなく、かねて田中夫妻に多大の恩義を受けていた右藤田正男は、田中家が絶家となることを防ぐため、親族会を招集し、自己の長女である申立人を右田中平作の家督相続人に選定し、昭和二〇年一〇月二七日申立人が家督を相続した旨を本所区長に届け出たこと。
(二) 申立人は、右の如く田中家の家督を相続したが、引き続き実父母の許で養育されて成人し現在二四歳で婚姻適齢期にあり、最近本籍東京都○区○○○二丁目二九番地和田忠男同トミ子の長男和田邦男と婚約が成立し、近く同人と結婚式を挙げる予定であること。
(三) 申立人は、右和田邦男と婚姻するにあたつては、右和田邦男が長男であるため、夫の氏を称する婚姻をするほかなく、したがつて、このまま申立人が右和田邦男と婚姻すると、田中の家名を継ぐ者がなくなること。
(四) そこで、申立人の実父藤田正男は、昭和二二年一〇月六日妻藤田美子との間に生まれた二男で、申立人の実弟にあたる事件本人を申立人の養子にして、田中の家名を継がせ、事件本人に田中家祖先の祭祀を主宰させようと考え、申立人ならびに事件本人にその旨を提案したところ、申立人も事件本人もこれを了承し、申立人は事件本人を養子とすることの許可を求めるため本件申立に及んだこと。
(五) 事件本人は、申立人の養子となつても、なお、引き続き実父母の許にあり、親権者となるべき申立人は間もなく前記和田邦男と婚姻するため、申立人が親権者として事件本人の監護養育にあたることは期待されないこと。
三、右認定事実によると、本件養子縁組は、専ら家名の承継を目的としてなされるものであることは明らかであつて、家の制度を廃止した民法の精神からみてかくの如き専ら家名の承継を目的とする養子縁組はこれを許さないものと解すべきであるのみならず、仮に本件養子縁組がなされても前記認定の如く事件本人は引き続き実父母の許にあり、申立人は間もなく婚姻するため、申立人は親権者として事件本人を監護養育することは期待できないのであるから、事件本人を申立人の養子にすることは、単に戸籍上の操作にすぎず、事件本人に何らの利益をもたらすものでなく、しかも親権を行使するにふさわしい実親から親権を奪い、親権を行使することが期待できない申立人に親権を委ねることになることは、事件本人の監護養育のため適切でなく結局のところ、本件養子縁組は、家名承継の目的のために、事件本人を単に手段として利用するものであつて、同人の福祉を考慮してなされるものでないといわなければならない。
よつてかかる養子縁組の許可を求める本件申立は相当でないから、これを却下することとし、主文のとおり審判する次第である。
(家事審判官 沼辺愛一)